借り暮らしのree_yont

借り暮らししながら、田舎暮らしを始めたのでブログを始めました。

不幸は重なるもの・・・

不幸のどん底と思っていても、

その価値観は人それぞれ。

 

うつで会社を辞め、

1か月が経とうとしていたころ

 

彼女に振られました。

 

 

当時本当にショックだった事を覚えています。

 

 

不幸がまだ終わらない。

 

永遠に不幸が続くんじゃないかと

思い1人悩んでいました。

 

 

相談が出来ないのは辛い事です。

 

家族に何ていえばいいかわからないし、

友達なら誰に言えばいいかわからない。

 

 

何度も携帯の連絡帳を眺めながら、

ベットで過ごしました。

 

 

ある日、1人の先輩の名前が目に入りました。

 

それほど仲が良かったわけでもなく、

何度か一緒に仕事をさせてもらったことがあるぐらい。

 

 

今でも何故その人に連絡したのかはわかりません。

 

でもその人が電話に出てくれて、

「どないしたん?」と言われた時、

 

また涙が溢れてきました。

 

 

その人は、reeの話をずっと聞くことに

徹してくれていました。

 

 

 

そして昔働いていたキャンプ場に

行ってみないかと誘ってくれました。

 

キャンプ場では特に働くわけでもなく、

のんびりただ時間だけが過ぎていきました。

 

 

気分がいい日には手伝いをして、

夜にはたくさん話しました。

 

おかげで少しずつ夜に眠れる日が

増えてきました。

 

 

そうして2か月ほどたったころ、

新たな感情が生まれてきました。

 

 

仕事がしたいと。

 

親にもそのことを伝えると

自分のしたい仕事をしなさいと言ってもらえました。

給料が安くてもやりたいことを・・と。

 

 

 

正直、ありがたさと困惑の感情がありました。

 

好きな仕事をすればいい。

 

好きな仕事って何だろうと。

 

やりたいことはあっても、

やりたい仕事というのは

なかなか思い浮かびませんでした。

 

 

それにうつ病もちの人間を

雇ってくれるのか?とも思いました。

 

 

せっかく工業高校を卒業したのだから

そのスキルを使いたい。

 

でもその当時は工場、職人、油の臭いが

トラウマになっており工場で働くことは

出来ません。

 

絵を描くのは好きでしたが、

仕事にしてしまって

新たなトラウマにするのは怖い。

 

 

子供とかかわりたいけど資格もない・・・。

 

 

そんな状態でした。

 

 

そんな時先輩から連絡が入りました。

 

 

「自分が働いているスポーツクラブで

子供の水泳のコーチをしてみないか?」と。

 

即答で受けることにしました。

 

 

そしてそのことがきっかけで

段々とうつから解放されていきました。